彼女の効能

 2023年も残すところ1週間となった。

ふと今年を振り返って、「1番インパクトのあった出来事はなんだろうか」と自問したところ、脳味噌が「彼女が出来たこと」と即答した。と言うわけで、さぞかし現実世界で充実している読者の皆さんに、恥ずかしながらも彼女が出来てから早5ヶ月が経った私の所見を述べようと思う。

事の発端は、7月の伊豆旅行である。

夜道を歩きながら、N君と「彼女を作る」と言う桃園の誓いを交わした私は、どうにでもなれと言う勢いでマッチングアプリに登録した。顔写真もモザイクをつけずに、ありのままを写した。そこから2週間、仕事には目もくれず、次々とマッチしていく女の子とトークを交わした。しかしながら、過去にご飯に行った女友達に「お父さんと来てるみたい」と言われ、まともに彼女が出来たこともない私にとって、女とトークをすると言う行為は、中々難しいものがあった。なにせ、大衆ウケする趣味もなく、男友達と会話をする時はブラックジョークを連発し、韓国が大嫌いな私は、見ず知らずの女と何を話せばいいのか分からないのである。しかも私用を相談できそうな男友達たちは、女をご飯に誘えずに温泉で傷を舐め合っている状態ときた。

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傷を舐め合う男達

 

 そんな私とでも、トークが続く女の子が現れた。これはチャンスだと思い、意を決してLINEを交換し、食事をする約束を取り付けた。探り合いのような事をするのが嫌いな私は、最初のご飯でアルコールの力を借りて告白をした。断られる事も重々覚悟の上であったが、意外にもその女の子は「こちらこそ」と言ってくれて、あっさりと私の彼女となった。

 

 さて、前置きが長くなったが、本題である『彼女の効能』について述べようと思う。効能は一言で言うと「優越感」である。

確かに彼女と一緒に居ると、幸せな気持ちになったり、気持ちいい気持ちになったりもする。しかし、Twitter(旧X)に入り浸っている私にとって、彼女居ないことを強がる醜悪なツイートを見ることに、この上ない優越感を感じるようになってしまった。昨今でいえばクリスマスが最たる例だろう。去年までは皆んなでクリぼっちを称え合っていたのに、今年は「自分は違う。こいつらとは違う。」と思うようになってしまった。これが所謂、「差別」と言うやつだろう。

言い換えれば

「彼女が出来て優越感に浸る人」→資本主義者

「互いに足を引っ張り合い、彼女を作らない人」→共産主義者

なのである。

資本主義者は「差別」を作る事で上へとのし上がっていく。しかし共産主義者は「差別」を作らず、皆を平等へと導く。どちらがユートピアへと繋がるかは、頭脳明晰な諸君にとっては至極簡単な問いであろう。

 

私はこのブログを書いた後に、すぐに革命への戦いに身を投じようと思う。

最後にこの言葉で終わりの挨拶とさせていただく。

「万国のプロレタリアートよ 団結せよ!」

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