2023年 備忘録
1週間ぶりです。ナポリタンです。
前回はふざけたブログを綴りましたが、今回は簡素な備忘録となっています。
1月 今宮えびすにレンジャー部隊が現れる。
レンジャー部隊
2月 村尾君とシンガポール旅行に行く。
(またどこかで海外に行きたい、)
3月 大学と別れを告げる。
特に大学に思い出がなかったので虚無感で溢れました。
4月 断腸の思いで社会の歯車となる。
このワニのように笑って生きていきたいです
5月 黄檗宗萬福寺に3日間幽閉される。(ストレスで蕁麻疹を発症した)
大阪に北高生同志が久々に集い、大阪城公園まで正直散歩を決行する。
魚なんて人間の食うものではありません!
6月 フィリピン籍の石炭船でカツカレーを貪り食う。
7月 湯治の会in伊豆
海岸で力む会員
8月 彼女と言うものができる。
9月 特記事項無し(彼女と天橋立に行ったくらい)
10月 齢23歳になる。
友のフェアレディZに乗り絶頂する。
速い車というものは良いですな!
11月 彼女とポッキーゲームをする。
スナックで泥酔し、現場の偉い人にハグする。
玉掛けする時は呼んでください
12月 取決めの作成など、仕事が忙しくなる。
ワンダー!
彼女と御堂筋線イルミネーション正直散歩を決行する。
お魚とれとれ市場でピザを貪り食う。
捻くれの温床とご飯を食べる(非常に愉快でした)
頑張ってみます
以上、2023年の振り返りとなります。
書き起こすと、「まぁまぁかな」と思う1年でした。
来年は皆さんと更なる「まぁまぁ」を狙いたいと思います。
それでは皆さん良いお年を
ご安全に
彼女の効能
2023年も残すところ1週間となった。
ふと今年を振り返って、「1番インパクトのあった出来事はなんだろうか」と自問したところ、脳味噌が「彼女が出来たこと」と即答した。と言うわけで、さぞかし現実世界で充実している読者の皆さんに、恥ずかしながらも彼女が出来てから早5ヶ月が経った私の所見を述べようと思う。
事の発端は、7月の伊豆旅行である。
夜道を歩きながら、N君と「彼女を作る」と言う桃園の誓いを交わした私は、どうにでもなれと言う勢いでマッチングアプリに登録した。顔写真もモザイクをつけずに、ありのままを写した。そこから2週間、仕事には目もくれず、次々とマッチしていく女の子とトークを交わした。しかしながら、過去にご飯に行った女友達に「お父さんと来てるみたい」と言われ、まともに彼女が出来たこともない私にとって、女とトークをすると言う行為は、中々難しいものがあった。なにせ、大衆ウケする趣味もなく、男友達と会話をする時はブラックジョークを連発し、韓国が大嫌いな私は、見ず知らずの女と何を話せばいいのか分からないのである。しかも私用を相談できそうな男友達たちは、女をご飯に誘えずに温泉で傷を舐め合っている状態ときた。
傷を舐め合う男達
そんな私とでも、トークが続く女の子が現れた。これはチャンスだと思い、意を決してLINEを交換し、食事をする約束を取り付けた。探り合いのような事をするのが嫌いな私は、最初のご飯でアルコールの力を借りて告白をした。断られる事も重々覚悟の上であったが、意外にもその女の子は「こちらこそ」と言ってくれて、あっさりと私の彼女となった。
さて、前置きが長くなったが、本題である『彼女の効能』について述べようと思う。効能は一言で言うと「優越感」である。
確かに彼女と一緒に居ると、幸せな気持ちになったり、気持ちいい気持ちになったりもする。しかし、Twitter(旧X)に入り浸っている私にとって、彼女居ないことを強がる醜悪なツイートを見ることに、この上ない優越感を感じるようになってしまった。昨今でいえばクリスマスが最たる例だろう。去年までは皆んなでクリぼっちを称え合っていたのに、今年は「自分は違う。こいつらとは違う。」と思うようになってしまった。これが所謂、「差別」と言うやつだろう。
言い換えれば
「彼女が出来て優越感に浸る人」→資本主義者
「互いに足を引っ張り合い、彼女を作らない人」→共産主義者
なのである。
資本主義者は「差別」を作る事で上へとのし上がっていく。しかし共産主義者は「差別」を作らず、皆を平等へと導く。どちらがユートピアへと繋がるかは、頭脳明晰な諸君にとっては至極簡単な問いであろう。
私はこのブログを書いた後に、すぐに革命への戦いに身を投じようと思う。
最後にこの言葉で終わりの挨拶とさせていただく。
「万国のプロレタリアートよ 団結せよ!」
シンガポール紀行
幾分か前に投稿された安田氏や能登氏のブログを見て、密かに自分も書いてみたいなと思っていたのだが、ここに来て大きなトピックスが出来たので恐縮ながら投稿させてもらう。稚拙な文章だと思うが、最後まで読んでもらえたら幸いである。
1日目。さて2月2日から5日まで、村尾君とシンガポール旅行を決行したのだが、私の胸の高鳴りは電車に乗った時から始まっていた。大阪梅田駅で村尾君と合流し、御堂筋線、南海電車を乗り継ぎ、愛しの関西国際空港に到着した。どうも私は関空の雰囲気が好きで、伊丹空港しか知らない村尾君に「伊丹空港は雑魚」と散々に罵った。搭乗する便は18時30分発のスクートで(スクートとはシンガポールの格安航空会社)、フライト時間は約6時間だった。スクートに乗ってみた印象はというと、大阪から東京に行くピーチと何ら変わりはなかった。しかし皆さんに想像して欲しい。大阪から東京までの1時間のフライトならあの席でも耐えられると思うが、6時間ともなると中々キツイものがある。おまけにスクートの機内Wi-Fiは有料なので、本当に睡眠しかすることがなかった。ただ幸いにも機内食と飲み物は提供された。機内食は東南アジア?らしいエキゾチックな味がするカレーか餡掛けご飯か分からないものを出されたのだが、あまり私の口には合わなかった。飲み物は水かコーラを選べたのだが、何をとち狂ったのか水を頼んでしまい、束の間の幸福も味気のないものになってしまった。そんなこんなで、尻が爆発しそうになりながら6時間のフライトは無事終了し、シンガポールに到着した。
Singapore
シンガポールに到着し、日本のパスポートのお陰でスムーズに入国審査が終わったことに感動したのも束の間、早速問題が私たちの前に立ち塞がった。それはホテルまでの移動手段である。現地時間で1時を回ろうとしていたので、バスと電車が終電を過ぎてたのである。残る手はタクシーなのだが、事前評価ではぼったくられるとあったので、これも使いにくい。そこで私は、ぼったくられる心配がないと書いてあったGrabという配車サービスを使うことにした。しかし深夜と旧正月の祝賀期間が相待って、全く捕まらなかった。1時間ほど待っても捕まらなかったので、仕方なくぼったくられるの覚悟でタクシーに乗ることにした(タクシーは通常通りバンバン走っていた)。稚拙な英語で行き先を伝え、これでやっとホテルに行けると私達が安堵しているのを察したのかどうかは分からないが、タクシーは一般道を100キロ近くでかっ飛ばし、ホテルまで速達してくれた。結局料金はぼったくられたということもなく、深夜料金でちょっと高いだけに収まった。
2日目の朝。ホテルのバイキングを食べ、私と村尾君はシンガポール旅行の本番を迎えた。シンガポールは赤道に近いため一年を通して27から30度近い気温である。故に服装は基本的に半袖半ズボンである。ただ2月は雨季の期間なので雲が多く、直射日光に晒されることはなかった。ホテルから出たシンガポールの街並みと人々は私達にとってとても新鮮だった。まずは人種の多さである。元々現地にいる東南アジア系の人や華僑の人、出稼ぎできたと思われる印僑の人、そして偶に居る欧米人など、基本的に日本人か顔の似た中国・韓国人しか居ない日本では経験できない人種の多さだった。話す言語もそれぞれで、英語や中国語の各方言、インドや東南アジア系の言語など様々であった。街並みに関しては、イギリス植民地時代と華僑の融合という印象を受けた。イメージするなら香港とかに近そうである。
公文に行くもんか♪というネタはシンガポールでも通用するのだろうか
さて私達が最初に向かったのは、シンガポール有数の観光スポット、ガーデンズバイザベイとマリーナベイサンズである。ガーデンズバイザベイは植物園で、西宮北口にある某ガーデンズとは違い、正真正銘のガーデンズである。中央に聳え立つ巨大ツリー群はまさに圧巻であった。またツリー上部には遊歩道が掛けられており、上からも植物達を見渡すことが出来た。そしてガーデンズバイザベイの向かいにあるのがマリーナベイサンズである。マリーナベイサンズは屋上にあるインフィニティプールが有名でホテルとショッピングモール、カジノの複合施設であるが、プールは宿泊者しか利用することが出来ない。ただ屋上の展望台は一般利用者もお金を払えば登ることができる。屋上からの展望はまさに圧巻で、シンガポールを一望することが出来る。またシンガポール港を見渡すこともでき、コンテナ取扱量世界2位の名に恥じない船の多さだった。
バスターコールじゃん
植物と展望を堪能した後、私達が向かったのが、これまたシンガポールイチの観光名所、マーライオンである。ただ前評判では、札幌の時計台と並ぶがっかりスポットとの報告を受けていたのだが、実際には全く違っていた。聳り立つ巨大なマーライオンとその口からハイドロポンプばりに放出される水流は正に圧巻だった。また正面にはマリーナベイサンズも見え、抜群の写真スポットであった。村尾君とInstagramで映えそうな写真を試行錯誤しながら撮ったのだが、両者共にそこまでの才能はなかったので、次旅行に行くなら写真撮るのが上手い人を連れて行きたいとも思った。
そしてこの日最後に私達が向かったのがチャイナタウンである。ただ街並みに関して言えば、シンガポール自体がチャイナタウンみたいな物なので、そこまで目新しいものは無かった。晩御飯はチャイナタウン内にあるマクスウェルフードセンターというところで取ったのだが、ここは最高だった。屋台が集合したフードコートのような場所で、メニューは中国系の料理が多くみられた。ちょっと小汚い感じが、正に現地に溶け込んでいるという感情を想起させた。注文したのは炒飯とコーラで、中々に美味しかった。ただ炒飯はタイ米で作られていたので、日本のお米ならもっと美味しいだろうなとも感じた。
大声で日本語喋ったらめっちゃ見られた
3日目。この日私達が向かったのが、前日の観光名所とは打って変わって、カトン地区という穴場スポット的なところだった。ここは観光客よりも現地の人たちが集まるスポットで、カラフルな家やフードコート、アピア逆瀬川みたいなショッピングモールにイオンみたいなショッピングモール、そして海岸線沿いの公園と、正に娯楽地区であった。昼飯もここにあるフードセンターで済ませたのだが、食べている時に隣に座っていた店の女店主が話しかけてきた。ここで私と村尾君は初めてまともな英会話をしたと思う。それまでは簡単な受け答えや注文など、一言二言で終わっていたのだか、ここで初めて英語による会話をした。しかしいかんせん私と村尾君の英語力はクソ雑魚だったので、会話というには怪しかったが、それでも相手側はボディーランゲージも含めて喋ってくれて、私達も何とか聞き取って答えようとした。結局30分ほど会話したと思うが、この経験は英会話に対して一皮剥けたようにも感じた。女店主と別れを告げ、私達は次なる目的地オーチャードロードに向かった。オーチャードロードにはバスで向かうつもりだったのだが、ここで事件が発生した。バスは日本と同じでICカードをタッチして乗ることが出来る。バスには最初に私が乗り、次に村尾君がICカードをタッチした。しかしブザーがなり通過出来ない。何度やってもブザーがなり運転手に「君は乗れない」と言われて置き去りとなってしまったのだ。私達は事前にチャージ式のバス電車兼用のICカードを購入し、それを使って交通機関を利用していた。事前に私と村尾君はカードにチャージをしていたのだが、村尾君は少なめにチャージをしていた。ただそれでもシンガポールの公共交通機関の料金は激安なので(1ドルから2ドルくらい)事足りるはずであった。しかしこれには大きな落とし穴があった。それは残高が3ドルを切ると乗れないのである。そして村尾君の残高は2.8ドルだった。こうして0.2ドルに敗れた村尾君はチャージする為に電車の駅に行き、電車で向かうことになった。
村尾君目線
一方私はバスでひとりぼっちになった。シンガポールのバスはTwitterで述べた通り、案内放送も表示もなく、目的地駅に近づいたら降車ボタンを押して降りるという方式である。その為私は車窓の景色を見る暇もなく、Googleマップと睨めっこしながら目的地駅に近づくのを待っていた。なんとか無事降りることができ、電車で来た村尾君とも落ち合うことが出来た。そして肝心のオーチャードロード自体は百貨店の立ち並ぶ道で、ショッピングに興味のある人なら良いが、私達は興味がなかったので特に何もなく通り過ぎた。そしてその足で向かったのが、フォートカニングパークとクラークキーである。フォートカニングパークは昔要塞だった公園で、大砲も置かれていた。
私は大砲よ
クラークキーは夜景が有名な場所で、入江に面した夜景と立ち並ぶバーやレストランなどのハイテンションな店を目当てに大勢の人が集まっていた。ただいかんせん、店がどれも高そうでメニューもよく分からなかったので、晩御飯とはならなかった。クラークキーは前日に行ったマーライオンと近かったので、私達はマーライオンの夜景も見ることにした。この夜景は最高だった。マーライオンとマリーナベイサンズが本領を発揮したと感じた。聳り立つマーライオンとカラフルに色が変わるマリーナベイサンズ、そして周りの高層ビル群のコントラストは、最終日にしてシンガポール観光に来ていると実感させてくれた。
村尾君はこの後ICカードを無くしてることが発覚しました
3日目夜から4日目。さてシンガポール観光も終わり、ホテルに戻り、後は帰るだけとなった。ただ帰るのにも問題があった。それはフライト時間である。帰りの飛行機は朝8時半出発という畜生フライトだった。つまり、8時半の飛行機に乗るには2時間前の6時半くらいには空港に着いておきたい。ホテルから空港までは1時間程かかるので、最低でも5時半にはホテルを出たい。起きてから用意をするまでには1時間は欲しいので4時半には起きないといけない。そして、そもそも4時半に起きれるのか。以上のことを鑑みて、私達が下したのは空港で徹夜をするという脳筋プレイだった。ホテルでシャワー浴びたのち、少し休憩と用意を挟みホテルを出た。この時すでに終電時間を過ぎていたので、また来た時と同じタクシーを使おうと考えた。しかし今度はタクシーが全く走っておらず捕まらなかった。そこで今度はGrabを試しに使ってみると、逆に捕まることが出来た。そうして空港に無事到着し、チェックインまで徹夜をすることとなった。
帰りの便
帰りの便では爆睡をかます事になった。途中、機内食でシンガポール名物のラクサという麺料理を出されたのだが、クソ不味過ぎて村尾君に処理してもらった。飲み物は初日の教訓を生かして、食い気味に「coke!」と伝えた。爆睡をかましたこともあって、帰りの飛行機はそんなにしんどいことも無く、日本に帰ってきた。
以上で私のシンガポール旅行記は終わりである。この旅行を通じて様々な体験でき、また知見も広がったと思う。百聞は一見にしかずというように、実際に行って肌身で感じる事で、画面越しでは分からない事を沢山目の当たりにすることが出来たと思う。最後にシンガポール旅行の誘いを快く承諾してくれて、同行してくれた村尾君への感謝をもって結びとさせていただく。